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イースターと永遠の命 |
イースターの際、大阪城の近くでChemins de Franceの活動の一環としてピクニックが行われました。
その時の勉強の話題は以下の三つでした。『イースター』、『木と色』、そして『サンドイッチ』。
ギヨーム先生は、サンドイッチの美味しい作り方を教えて、実際に皆に作ってくださいました!
僕はというと、その日はイースターの宗教的なパートの担当になっておりました。
日本語で発表するなんて留学時代から初めてですごく緊張していました。
宗教とは間違いやすく、大変深いテーマなので、事前に日本の教会に行き、相談しました。
その際、僕がやはり少々誤解していた箇所が判明しました。それは「過ぎ越しの祭り」と「イースター」はフランス語で「pâque」という同じ言葉になっていたからです。
それでは、本題に入ります。
イースターの日には、大人たちは卵を隠し、子供達が探して、それを食べたりする習慣がありますが、これにはやはり意味があります。
卵の硬い殻の中には一体何があるでしょうか。黄身と白身がありますよね。しかし、有精卵であったなら、
そこには「命」が入っているかもしれません。その命はやがて卵の殻を破って誕生する…
したがって、『イースター』には、イエス・キリストが「卵の殻」ではなく、「死の殻」を破って甦ったという意味を表します。
ですから、『イースター』とは、イエス・キリストの復活をお祝いする日なのです。
イースターの日には、教会に行って、聖書を読む習慣もあります。
例えば、聖書に記されているいくつかの箇所を挙げると、
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書3章16節)
Car Dieu a tant aimé le monde qu'il a donné son Fils unique, afin que quiconque croit en lui ne périsse point,
mais qu'il ait la vie éternelle.
何故イエスを信じたら永遠の命が与えられるのでしょうか?
それは、イエスが私達の罪のために、身代わりに死んだからです。
罪について聖書は、人間は皆、罪人であると言っています。
ローマ書3章10&11節:「 義人はいない。一人もいない。… 神を求める人はいない…」
selon qu'il est écrit: Il n'y a point de juste, Pas même un seul; Nul n'est intelligent, Nul ne cherche Dieu;
Tous sont égarés, tous sont pervertis;
23&24節:
「すべての人は、罪を犯したもので神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、
キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
Car tous ont péché et sont privés de la gloire de Dieu; et ils sont gratuitement justifiés par sa grâce,
par le moyen de la rédemption qui est en Jésus Christ.
6章23節:
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
Car le salaire du péché, c'est la mort; mais le don gratuit de Dieu, c'est la vie éternelle en Jésus Christ notre Seigneur.
つまり、生きとしいけるものは皆、滅ぶべき存在ですが、救世主であるイエス・キリストが、我々、罪人の身代わりに十字架にかかったので、私達はそのイエス・キリストを信じることにより、罪が許されるということになります。
また、イエスは死んだままではなく、三日目に甦りました。
ですから、イエスが甦ったように、イエスを信じる者も皆、永遠の命を持つということが約束されるのです。
このようにクリスチャンの間では、イエスの復活を感謝して忘れないように、イースターのお祝いをする風習があります。